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沃川

沃川郡庁前の交差点
沃川郡庁前の交差点
報恩方面と旧邑方面に分かれる交差点
鄭芝溶文学館の標識
鄭芝溶文学館の標識

鄭芝溶文学館

沃川聖堂から道なりに歩いて沃川郡庁のある大きい交差点、報恩(보은)方面と旧邑(구읍)方面に分かれる小さい交差点を経て20分ほど歩くと写真のように鄭芝溶文学館(정지용문학관)の標識が見えてきました。鄭芝溶生家のある場所が昔の中心地だったのですが、京釜線鉄道の沃川駅ができてからは中心地が移動し、今は旧邑と呼ばれています。そのためなのかここまで来る道沿いには古そうに見える並木が植えられていて昔情緒を増してくれました。道路の横に流れている小川に沿っていってすぐの所に詩人鄭芝溶の文学館と生家がありました。

鄭芝溶文学館
鄭芝溶文学館
鄭芝溶生家
鄭芝溶生家
鄭芝溶の詩:湖
鄭芝溶の詩:湖

鄭芝溶文学館:鄭芝溶文学館(정지용문학관)に入って彼に関する色んな資料を見ました。1902年沃川生まれであること、植民地時代に京都の同志社大学に留学したこと、韓国戦争が起きて1950年代に北朝鮮へ行ってしまって生死が分からないことなどが分かりました。その中でも日本留学時に彼が日本語で書いた詩を読んで優れた作品だなと思いました。

彼は北朝鮮へ連れされられた理由で軍事独裁時代には彼の詩はタブーになっていたけど、民主化になった今は学校でも彼の詩を教えているようです。面白いことにここ沃川はクーデターで政権を握り、長年軍事独裁を続けたあげくに部下に殺された朴正熙元大統領の妻陸英修の故郷でもあります。共産主義と資本主義の冷戦時代の混乱を狡猾に利用して南の最高権力者にまで上り詰めた軍人の妻と、民主化とともに価値を認められ、今になって人々の心の中に生き返って来た詩人の歴史が共存しています。沃川には鄭芝溶生家も陸英修生家もあるけど陸英修は人々の心の中からその内に消えて行くでしょう。

鄭芝溶生家
鄭芝溶生家
鄭芝溶生家の前の道
魚そば

鄭芝溶生家:鄭芝溶文学館を出て隣りにある彼の生家に行きました。部屋の前にはここに訪れた人たちが書いた芳名録が置いてありました。自分の名前を書き入れながらみんなどこから来たのからと思ったら意外と半分くらいはソウルから来た人でした。部屋の壁には彼の詩が掛けられていました。その内綺麗なハングル文字で書かれた湖1(호수)と言う詩に目を惹かれました。

顔ひとつなら
両手で
かんたんに隠せるが
あいたいこころ
湖のように広く
目を瞑るしか・・・

鄭芝溶生家の前の道をまっすぐ行くと、春秋民俗館という昔の伝統家屋をレストランとして使っている所がありますが、その前にこの辺の地域の名物(?)と言われている魚そば(생선국수)を食べに行きました。この地域の川魚のすり身を入れたそば料理で、鄭芝溶文学館の職員に聞いて食べに来ましたが、味は辛いだけでピンとこなかったです。結局食べきれずに店を出て春秋民俗館へ向かいました。