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仁川開港ゆかりの遺跡

日本領事館址

仁川広域市中区中央洞1街9 [現 中区役所地域] 。日本領事館のあった場所として、仁川開港と同時に、隣接国である清と欧米帝国が先を争って自国民の住居の便益を口実に土地協定を結び、それぞれ租界を定めて領事館を設置した。 日本は1883. 10. 31、一番最初にここへ領事館を設置し、領事館内には仁川港日本軽罪裁判所を置いて領事裁判を執行した。また、消防署や警察も設置し、初めて郵便事務所も始めた。 位置: 仁川広域市中区中央洞1街9 [現 中区役所地域]。

イギリス領事館址

位置 :仁川広域市中区港洞1街3 [現 オリンパスホテル地域] 。イギリス領事館のあった場所として、1884年3月当時は狭小な家屋だったが、1897年に新しく優雅でこじんまりした煙瓦造り156坪の1階建ての建物を新築した。 領事館があった丘の上には烽火台があって、外寇船が入ってくるとすぐに烽火をあげてソウルに知らせた。 1915年の第1次世界大戦中、一時領事館が閉鎖されたこともあったが、その後7月20日に至って再びイギリス外務省から正式の領事が赴任してきた。

解放後、市立芸術団、仁川無線電話局庁舍として使用していたが、1950年の6.25戦乱(韓国戦争)により焼失した。 位置: 仁川広域市中区港洞1街3 [現 オリンパスホテル地域]。

清国領事館址

位置 : 仁川広域市中区善隣洞8 [現 華僑小学校] 。 清国領事館のあった場所として、仁川に清国租界が設置された1884年4月に開設。 開設当時は清国理事府または理事署と呼ばれた。日清戦争(1894 ~ 5年)中、一時閉鎖され、1898年清国領事館として再発足したが、日帝時代末に再び閉鎖された。同領事館内には警察署があり、自国の居留民を保護したが、領事館の建物は焼失した。位置: 仁川広域市中区善隣洞8 [現 華僑小学校]。

典還局址(전환국터)

位置 : 仁川広域市中区銭洞2 [現 ミチュホール文化会館] 。貨幤を製造していた典還局址として、従来韓国で使っていた常平通宝が重く、1885年(高宗22年)ソウルに典還局を設置して、1887年から洋式鋳貨を製造した。 しかし鋳貨製造に必要な銅を日本から輸入して使っていた関係で、1892年5月、原料を運びやすいこの場所に移して操業したが、1900年8月、京仁鉄道完工後、ソウル龍山に移転した。 位置: 仁川広域市中区銭洞2 [現 ミチュホール文化会館]。- 2011.2.22