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城北洞散策コース

韓国の伝統家屋が楽しめる町としては鐘路区にある北村韓屋村が有名だけど、北村は朝鮮時代の上流階級の人が沢山住んでいた所だったに比べて、城北区城北洞はソウルの中心部から少し離れた所で、文人や芸術家の人が多く住んでいたと言われていて北村とはちょっと違った味を持っている。城北洞を代表する伝統家屋は「無量壽殿배흘림柱に持たれて」を書いた崔淳雨の古家、詩「ニメ沈黙」で有名な韓龍雲家屋、小説家の李泰俊家屋、吉祥寺、澗松美術館、先蚕壇址、などが有名で、この他にも家具博物館、生活陶磁器博物館などもある。

崔淳雨

崔淳雨(1916~1984):韓国の美術史学者。美術評論家本名は熙淳。号は兮谷。開城松島高等学校を経て開城博物館に勤め、韓国の美術史を研究史始める。1948年ソウル国立博物館勤務。韓国美術に卓越な見識を持ち韓国美術の研究や文化財保存に大きく貢献した。主要論文には、「謙齎鄭歚論」、「韓国の佛畵」、「蕙園申潤福論」、「李朝の画家たち」などがあり、著書には「韓国美術史」、「無量壽殿배흘림柱に持たれて」などがある。

韓龍雲家屋(尋牛莊)

韓龍雲

韓龍雲(1974~1944):詩人・僧侶・独立運動家。1974年忠清南道洪城で生まれる。1905年に出家。1908年に日本各地を見聞。1917年朝鮮仏教会会長。1918年仏教雑誌「惟心」発刊。1919年の3.1独立運動の民族代表33人の一人として参加後逮捕され3年間監獄に入る。1922年から民立大学設立運動・物産奨励運動など民族運動に参加。1924年朝鮮仏教青年会会長。1926年詩集「ニメ沈黙」初版発刊。1940年朝鮮総督府による創氏改名の反対運動、1943年朝鮮人学兵出征の反対運動を展開。解放1年前の1944年に城北洞の自宅(尋牛莊)で没。尋牛莊の画像を見る

李泰俊(1904~1960?):越北小説家。号は常虛。

先蚕壇址

蚕業を最初にはじめたと伝われている中国古代皇帝の皇妃を蚕の神として祀った所。この壇は朝鮮の成宗2年(1471)にはじめて建てたもので、宮中にあった蚕室で育てていた蚕の餌になるクワ(桑)を育てるようにした。世宗大王は養蚕を奨励していて、各道ごとに良い場所を選んで桑を植えるようにし、中宗1年(1506)には各道にある蚕室をソウル付近に集めたが、今のソウル江南地域にある蚕室(ロッテワールド周辺)と言う地名は、昔ここに蚕室が沢山あったことからである。先蚕壇設置後、毎年3月に祭祀が行われていたが、1908年に蚕神の神位を社稷壇に移してから今は跡地だけが残っている。

澗松美術館

澗松美術館所蔵:靑磁象嵌雲鶴紋梅甁

1966年ジョン・ヒョンピル(全鎣弼:1906~1962)さんの収集品をもとに韓国民族美術研究所の付設美術館として発足した。全鎣弼は1929年から韓国の書画・陶磁器・仏像などの美術品を収集し、1936年に今の美術館の建物である保華閣に保管してきたが、植民地・太平洋戦争・韓国戦争などの混乱で一般開放できずに世を去った。その後息子の全晟雨・全暎雨が後を継いで1966年の秋に韓国民族美術研究所と澗松美術館を発足するようになった。所蔵品は高麗青磁、朝鮮白磁、仏像、仏具、石塔、絵、書など様々で、その内訓民正音(国宝70号)をはじめ、10点あまりが国宝に指定されるほか国の宝物として指定されたのも数多い。毎年春(5月)と秋(10月)のみ一般開放していて、常時開放はしていない。敷地は4000坪。澗松美術館について

吉祥寺

1997年に建てられた寺で、歴史は古くないが周りの緑と建物の素朴な美しさが見どころ。お寺体験(Temple stay)もできる。

城北散策
城北洞散策に行くためにはソウル地下鉄4号線の漢成大入口駅の6番出口を出て、1111番バス、2112番バス、03番マウルバスに乗って弘益中高校入口で降りる。※駅から徒歩でも15分しかかからない。 ①散策ルートの総距離は約4キロ、所要時間は約3時間。②散策道の途中にはソウル城郭への道もあるので景福宮の裏山(北岳山)に登ってソウル市内の景色を見ることも可能(所要時間約3~4時間)。※<ソウル城北区地図拡大


城北洞散策ルートの途中に菊庭園(국화정원)と言う韓定食屋さんがあります。昼間25000Wの韓定食が料理が綺麗で美味しくおすすめ。