宗廟

世界遺産 宗廟
宗廟の正殿

人が死ぬと魂は天に、肉体は地に帰ると信じる儒教では、亡くなった先祖の魂を祀るための祠堂(사당)と肉体を祀るための墓を作りました。宗廟は、朝鮮王朝の歴代の王と王妃の位牌を祭り、祭祀(제사)が行われていた祠堂で、もともと中国から伝わってきた文化だったが、儀式や建築様式に韓国独特の個性が加わり、韓国の文化として発展しました。

宗廟(종묘)の主殿である正殿は建坪1207㎡の規模で、同時代の単一木造建築物としては世界最大規模と推定されています。正面が非常に長く、水平の構造が強調された独特な形式は、西洋建築史でも例の少ない珍しい建築様式です。

宗廟は歴代の王と王妃の位牌を納めた祠です。王家の霊魂のための家というわけです。太祖は朝鮮王朝を設立し首都を漢陽(ソウル)に移した後、真っ先に宗廟の建立に着手し、翌年の1395年に完成させました。最初は7代まで遡り王と王妃の神位を正殿に安置し、その時期を過ぎれば永寧殿(영녕전)に移したのですが、朝鮮時代中期から、業績の優れた王に限り正殿に安置を続けることになりました。従って神位が増えるたびに正殿の規模も大きくなり、結果として、単一木造建築物としては世界でもっとも長い建物が誕生することになりました。現在正殿には19人の王、30人の王妃の神位が保管されています。1995年にユネスコ世界遺産として登録されました。

正殿

神位を安置する建物。王と王妃の霊魂が眠る家と言える。位牌を保管する部屋19間を中央に置き、両端にそれぞれ部屋2間を設置、直角に曲がる画廊を建てた。前方には東西の幅が109メートルにもなる広い中庭を置き、その中央には神の道を設けた。ここは西側が上席で西側の端から、太祖を始めとして順番に神室を配置した。

永寧殿

正殿が一杯になって正殿から出された神位を安置する建物。全般的な形態は正殿と変らないが、規模が少し小さく端正さを感じさせる。丹青を施す代わりに赤い漆を使った。中央には相対的に高く設けられた神室があるが、太祖の先祖であり、後から王の称号が与えられた穆祖、翼祖、度祖、桓祖、そして王妃たちの神位が眠る部屋となっている。

功臣堂

王と王妃の地位は死後も続く。王の霊魂を安置するところに臣下の魂は無くてはならない。功臣堂()は歴代功臣たちの位牌を安置する建物である。最初は3間から始まり、時代が流れるにつれどんどん増え16間にも達している。全般的に簡素で素朴であり、王家の神室とははっきり区別される。

恭愍王神堂

高麗時代31代目の王だった恭愍王と魯国公主の神位を祀る建物。恭愍王の肖像画と絵が一緒に納められている。朝鮮王朝の王たちを祀る空間に、高麗王の神位が置かれた理由は、太祖の李成桂が朝鮮を建国する際に恭愍王の意を継承すると言った名分を表すためだった。

宗廟祭礼と宗廟祭礼楽

宗廟祭礼は宗廟に祭られた王と王妃の霊魂に祭祀を行う王室の伝統儀式である。王朝が先代から正統性を受け継いでいる内外に示す重要な行事だった。朝鮮王朝では春夏秋冬と旧暦12月の1年に5回祭事が行われたが、今は1年に1回のみ、毎年5月第1日曜日に行われる。祭事は、神を迎えて、3回杯を捧げて、参礼者が供えた酒を飲み、神を見送る順番で行われる。宗廟祭礼が行われる所々に演奏される雅楽と踊りを宗廟祭礼楽と言う。

宗廟で行われる祭礼は、国で執り行っていた祭祀の中でも最も規模が大きく、その様式は1464年から現在まで原形を保ったまま伝えられています。この祭礼で演奏される荘厳かつ雄大な儀礼音楽である宗廟祭礼樂 (종묘제례악)は2001年、宗廟祭礼 (종묘제례)とともにユネスコが指定した世界無形遺産に登録されています。西洋音楽史における祭礼樂は17世紀のバロック時代に始まったとされますが、15世紀に作曲された宗廟祭礼樂は、それより200年あまりも先駆けて作られたものです。宗廟大祭の写真 宗廟大祭の写真もご覧ください。

宗廟への行き方

ソウルの地下鉄3号線鍾路3街駅(종로3가역)の11番出口から出ます。11番出口からまっすぐ約200メートルくらい歩くと左に公園があり、その中に宗廟への入り口があります。※鍾路3街駅は地下鉄5号線(8番出口)も通っています。< 宗廟周辺地図拡大 >

ソウルの地下鉄3号線鍾路3街駅 宗廟の入り口