インサドン(仁寺洞)

仁寺洞
仁寺洞

ソウル市の中心地である鐘路区(종로구)は、朝鮮王朝を象徴する宮殿(景福宮、昌徳宮、徳寿宮など)と宗廟のほかにもさまざまな歴史的遺跡を持っていて政治や文化の中心地の役割を担って来た地域です。その中でも仁寺洞は鐘路区の中心地に位置しており、仁寺洞の入口近くにある公園(탑골公園)は、朝鮮時代を開いた太祖李成桂が作った興福寺(흥복사)があったのですが、朝鮮王朝7代目の王(世祖)の時代に圓覺寺(원각사)と言う名前に変わり、今は圓覺寺の跡地に公園(タップゴル公園)ができていて、公園の中には国宝2号の圓覺寺址十層石塔が保存されています。

タップゴル公園(탑골공원)は昔はパゴダ(Pagoda)公園と呼ばれていたのですが、パゴダとは西洋人が東洋の仏塔を指差した言葉でタップゴル公園内にある塔(圓覺寺址十層石塔)に因んでパゴダ公園と呼んでいたのを1992年に今の名称であるタップゴル公園に変わりました。タップゴルとは「塔のある街」との意味です。

※圓覺寺(원각사)の名前の由来:朝鮮王朝7代目の王(世祖)は4代目の王(世宗)の2男で、自分が王になるために弟と姪を殺して王になったのですが、王の座についた後に自分が犯した罪を反省する意味でこの寺の名前を圓覺寺にしたそうです。

国宝2号「圓覺寺址十層石塔」
国宝2号「圓覺寺址十層石塔」

タップゴル公園は1919年3月1日に起きた独立運動で民族代表33人による独立宣言書が発表された所で、この3.1独立運動は中国の5.4運動、台湾とインドネシアの独立運動に影響を与えた国際的な意味も持っています。韓国の3.1独立運動は全国に広がるようになりますが、このような重要なことが仁寺洞周辺で行われたのは、仁寺洞が当時の市民たちの間では文化的な中心地だったからでしょう。

仁寺洞は、朝鮮時代まで寛仁坊と大寺洞契と言う地域名があったのですが1914年に坊と契という行政区域名を洞に変えるにあたって仁寺洞に変わったのですが、1936年朝鮮総督府令によって仁寺町になり、開放されたあと1946年に今の仁寺洞という名前になりました。

仁寺洞を代表するアンチーク街は、昔は景福宮の裏にある山から水が小川を成し流れた道で、1970年代半ばに起きた偽古書画事件で当時まで多くあった骨董品店や画廊が江南地域に移ってしまう危機もあったのですが、1990年代から骨董品店が去った所に絵を取り扱う画廊が入ってくるようになり、当時大学生を中心にブームとなっていた伝統茶文化の影響で茶器を専門に取り扱う店が続々とできはじめ今のような姿をもつようになりました。

1990年代まではアスファルトの道だったのですが2000年に入り今のような形の道に変わり、沢山の骨董品、画廊、伝統茶などの店も密集していて韓国文化が感じられる名所として韓国人はもちろん外国からの観光客にも人気を得ています。

仁寺洞アンチーク街は全長500メートルくらいの短い道だけど、韓国伝統の工芸品、観光記念品、韓定食なども味わうことができ、毎週土、日曜日の午後4時には昔の街警備隊の行列を再現していますが、ここ仁寺洞は人が沢山集まる場所だけあって平日と週末に関係なく行事や野外公演など色んな催しが開かれますので2,3時間過ごすにはうってつけの場所だと思います。仁寺洞の店は普通のそこら辺の街の店とは違って夜遅くまで営業している店は少ないないのが特徴です。

楽園楽器商店街
楽園楽器商店街

仁寺洞とタップゴル公園の間には楽園商街(楽園商店街:낙원상가)という楽器専門の商店街があり、40~50年前から楽器販売店や楽器修理店のメッカとして有名なところもあります。日本東京の御茶ノ水周辺にも楽器屋が多いですが、このような楽器商店街は非常に珍しい所だと思いますが最近再開発の噂もありその内姿が見れなくなるかもしれませんね。都市も人間のように年を取っていくことですかね。

仁寺洞はソウル定番の観光地になっているので観光記念品店も多いですが、観光記念品としては赤ちゃんの初めての誕生日お祝いに使われる足袋を額に入れた記念品(参考:韓国旅行プレゼント)、そしてもし楽器に興味のある方なら仁寺洞のそばにある楽器専門店街行くことをおすすめします。

仁寺洞へのアクセス

①地下鉄3号線の安国(안국)駅の6番出口を出てまっすぐ行くと、観光案内所が現れます。そこから左に伸びた道が仁寺洞になります。その道を通り抜けるとジョンロ(鍾路)に出ますので、仁寺洞は地下鉄3号線鍾路3街駅1番出口からも近いのです(徒歩3分)
②地下鉄5号線の鐘路3街(종로3가)駅の5番出口を出ると楽園商店街の横になります。 仁寺洞観光地図