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「시작이 반이다 」(始まりが半分だ)

by 竹下 南

 godの復活コンサートのキップは2014年5月16日の売り出し後瞬く間に売り切れたという。あの国民的グループgodだから、復活コンサートのキップの争奪戦の凄まじさは予測がついたが、残念ながら私も買えなかった!
 それにつけても、かつて2002年「god 100日 human concert」のキップは当日券が現地ソウルにおいて¥5000で買えたのに、アァ~god人気のインフレも甚だしく、これはファンとして喜ぶべきことなのであろうが、それにしてもgod復活のスゴイ人気…。

 さて、ここで韓流が湧き起った当時のことを少し振り返ってみたいと思う。
 韓流元年とは2003年、「冬のソナタ」がNHKテレビ(地上波)で放送された年を言う。ヨン様ブームが訪れ、かつてないほどの訪韓する日本人が増え、ソウルの街じゅう韓流スターの情報で溢れかえっていたあのころ。訪日する韓流スターも数限りなく、“ファンミ”には大勢の人が参加した。 私もgodのコンサートに、レインのファンミ(ファンミーティング)にと、仕事をくぐり抜けて土日の弾丸ツアーでソウルへ行ったことを思い出す。それまでなかった韓日交流が市民レベルで行われ、「近くて遠い国」が名実共に「近くて近い国」となり、2時間半で行ける韓国は、“安近短”の魅力的な外国として私たち日本人を魅了した。

 お互いの顔かたちは似ているのに、何もかもがまるで異なる文化圏の韓国。食べ物・習慣の違いもさることながら、韓国スターたちのアピール力にも凄まじいものがあった。
 その強力な要因の一つにスターとファンとの“近さ”があげられよう。AKB48のプロデューサー秋元康氏も韓国芸能界のファンミを参考にして「会いに行けるアイドル…」の着想を得たのではないかと思うほど、当時の日本では考えられないくらいこの接近感は魅力的だった。お目当てのスターとの交流は、握手あり、ハグあり、プレゼント渡しあり、会話あり…とそれはファンにとって夢のようなひとときを演出してくれたのである。
 最近(5月25日)AKB48の握手会会場でスターの女の子を傷つける事件があったが、こうした事件ひとつ起こらずスターと極めて近い状況下、ファンサービスに徹していたのが正しく韓流ビジネスの真骨頂だったと言えるかもしれない。

 しかしながら“あれから10余年…”潮が引くように韓流は去っていった、かのように思える現実をどう捉えたらよいのか…。
 これには互いの国の政治的思惑も大きく作用していたに違いなかろう。一般的に言われることの一つとして、2012年8月10日、李明博大統領の竹島(独島)上陸がその引き金になったとも考えられる。さらに朴槿恵大統領の反日的動向等…、数えれば数限りなく政治的イシューは数多く介在していた。でも民間レベルでの“政治問題”は果たしてあるのであろうか…?
 私はそうは思わない。日韓間の過去の歴史を越えてエポック・メーキングとして訪れた韓流ムーヴメントは、政治はともかく民間レベルにおいて、そうは簡単には崩れ落ちないと考える。
今の私が確実に言えることとして…。
 もし、“韓流”がなかったら…。未だに韓国を一度として訪れてなかったであろう。
 もし、“韓流”がなかったら、あの美味しい韓国料理を知らずにいたろう。
 もし、“韓流”がなかったら、韓国語を習わなかっただろう。
 そして、何よりも「韓日近現代史」を知らずに生きることに平然としていたに違いない!
そう考えると、あの頃の韓流はとても偉大な国家間の“先生”と捉えることができよう。

 韓国には「시작이 반이다」(始まりが半分だ)という意味の言葉がある。
 つまり“思ったらとにかく始めて見る、だめだったらやめてやり直せばよい”ということだ。
 もう、我々日本人は確実に隣国韓国の魅力を知ってしまったのである。この事実は韓日間の民間レベルとして政府間の問題をよそに、草の根民間交流が始まったことに他ならない。  江戸時代における朝鮮通信使の例を持ち出すまでもなく、隣国の芸術・文化・風習は日本人にとって“異国情緒”として魅力的なのだ。
お互いに自分(自国)に無いものを求め合うのが恋愛だとしたら、日本に“韓流”が訪れたのは、必然だったのかもしれない。罪を恥じ、許し乞う気持ちがあれば…だが…。
- 2014.7. -